掲示板のことば

不定期に更新しております、真廣寺山門にある掲示板。その味わいを毎回記しておりますが、ここにそのバックナンバーを置きます。

あんたも おこつになるよ いきとるんか うごいとるんか どっちや 〜ふじい じとう 〜

あんたも お骨になるよ 生きとるんか 動いとるんか どっちや 〜2020年10月

 藤井先生は「妻は坊守として、私は住職として、それぞれが仏法を聞いてきたという思いに立っていましたけども」と続け、「妻の病床での「侮っとった」という一言」で、いかに仏法を「我がごと」としてきくことが難しいかを思い知ったと告白しておられる(真宗会館・言の葉サイトより)。

 かつて御命日を「御明日」と書いた。生を明らかにする日の意味だ。なぜ一周忌を二回忌と呼ばないのか。それは死者の記憶を起点として、私自身、年月を〝一周〟して、さていかがかと自問自答するためではないか。

 私たちは「生きて・活動している」。だから生活という。だが今、活動さえ豊かならばそれで幸せと錯覚させるような綺麗ゴトが世間には溢れている。本来コロナ禍で思い知らされ、そして忘れてならないのは「私もお骨になる」という事実であろう。そこからやがて終えるであろう生の厳粛さを深く「我がごと」と考えるべきではないのか。

 そして問い続けないといけないのは、今まさに、そのイノチをちゃんと「生きとるのか」、それともモノとコトとカネに踊らされ、ただ「動いとる」だけなのかということである。人生は一度きりだというのに。