掲示板のことば・2021

パンデミックが ぼくらのぶんめいを レントゲンにかけてるところだ パオロ・ジョルダーノ

パンデミックが 僕らの文明を レントゲンにかけてるところだ 〜パオロ・ジョルダーノ〜 2021年10月

 静かな電車内で大声が。見れば男性が口論中。会話内容から片方の男性が着席するとき膝が強く当たったことが原因のようだ。双方譲らず長引く勝負。でも見ているこっちは滑稽ですらある。なぜなら結局となり同士、仲良く座っているのだから。

 思えば感染症拡大で行動が制限され、私たちの間に目に見えない苛立ちが蔓延している。これもウイルスのようなものだ。新聞やテレビ、ネットで他人や隣人を貶めあう、知性の低い言葉の応酬が並ぶ。みな「苛立ち感染症」に罹っているようだ。

 移動手段がウイルスを拡散し、公共機関では肩が触れても罵り合う。情報共有は争いの舞台。便利なはずの文明でもって自分たちの首を締めている人間たち。ただし、これは悲惨な現象ではない。見ないようにしてきた人間の愚かさと浅ましさの本質が炙り出されているだけ。コロナによる「レントゲン」の人類健康診断。平素の不摂生の賜物だ。

かわらないもの なんて なにもない そうおもえば なやみやふあんだって いつまでもつづかないよ

変わらないものなんて なにもない そう思えば 悩みや不安だって いつまでも続かないよ 〜こどもブッダのことば より〜 2021年7月

 これほど「不安」という言葉を毎日見聞きした年はない。まさに先の見えない不安。この状態がいつまで続くのか、出口が見えない不安。感染症だって、どこから忍び寄ってくるのかわからない。不安だ。

 だが、よく考えてみればこうした不安はコロナウイルス以前からあった。お金や健康や生命。仏さまのような本当に「長尺で広大な視点」で見ることができたなら気づくだろう。実は不安の対象が移ろい変わっているだけに過ぎなかったことを。不安は私たちの一部だったことを。

 お釈迦様は「諸行無常」とおっしゃる。世の中は常に移ろい変わっているのだ、と。無常は、〝常では無い〟という当たり前の事実。人が老いること・亡くなること・大切なものが壊れることも無常だけれど、赤ちゃんが生まれて成長することも・新しい人生の発見をすることも・病気が治ることだって無常なのだ。良くも悪くも長くは続かない。 

ひかりと いのち きわみなき

ひかりと いのち きわみ なき 〜和訳正信偈より〜 2021年1月

 「ひかりといのち きわみなき」。和訳正信偈の冒頭の一節である。音楽法要で歌われることも多いこのフレーズはこの後に「阿弥陀ほとけを仰がなん(仰ぎましょう)」と続く。

 「ひかり」と「いのち」は、誰しもに平等に与えられ阿弥陀さまの救いを表している。

 目には見えなくてもあなたは無量の光に照らされているのだよ。そして人類の永く続いてきた無量の寿の歴史の先端にあなたはいるのだよ。たとえ今どれほど絶望的な状況でも、あなたはそうして生きているだけで尊いことを忘れないでほしい。人生という一大事業を成し遂げているのだから。阿弥陀様はじっと黙って見守ってくださっているのだよ。と言う意味である。

 若い頃はいのちも光も身にみちていたのであろうか、そんな話を聞いてもさっぱり耳に入らなかったというのに、最近こういう言葉が心に響くようになってきた。