住職法話

住職が翫湖堂にて連載したお話・あるいは各地で執筆した文章や動画などを掲載いたします。

--教える人よりも教えられる人が大切である。教えの大きいことや深いことは、教えられた人の自覚によって明らかにされるものである。それが仏道というものである。そうでないといたずらに子分となって、結局じり貧に陥ってしまう(安田 理深)

-- 信心といっても、胸の中の想いに過ぎないでしょう。それなら精神修養のようなものです。暇人の暇仕事です。(安田 理深)

和讃にきく-2

住職画・眞廣寺境内のあじさい=難波別院カレンダーに提供
  • 第31回 神力無極の阿弥陀は

  • 第32回 自余の九方の仏国も

  • 第33回 十方の無量菩薩衆

  • 第34回 七宝講堂道場樹

  • 第35回 妙土広大超数限

  • 第36回 自利利他円満して

  • 第37回 神力本願及満足

  • 第38回 宝林宝樹微妙音

  • 第39回 七宝樹林くににみつ

  • 第40回 清風宝樹をふくときは

  • 第41回 一一のはなのなかよりは(光明)

  • 第42回 一一のはなのなかよりは(仏身)

  • 第43回 相好ごとに百千の

  • 第44回 七宝の宝池いさぎよく

  • 第45回 三塗苦難ながくとぢ

  • 第46回 十方三世の無量慧

  • 第47回 弥陀の浄土に帰しぬれば

  • 第48回 信心歓喜慶所聞

  • 第49回 仏慧功徳をほめしめて

  • 第50回 尊者阿難座よりたち

  • 第51回 如来の光瑞希有にして

  • 第52回 大寂定にいりたまひ

  • 第53回 如来興世の本意には

  • 第54回 弥陀成仏のこのかたは

  • 第55回 南無不可思議光仏

  • 第56回 無碍光仏のひかりには

  • 第57回 至心信楽欲生と

  • 第58回 真実信心うるひとは

  • 第59回 弥陀の大悲ふかければ

  • 第60回 至心発願欲生と

--教会に行ったからとて、あなたがキリスト者になるわけではない。あなたがガレージにつっ立ってたって、自動車になるわけでないのと同じである。(G・K・チェスタートン)

如来所以興出世・唯説弥陀本願海

第11話では釈迦如来様が世にお出ましいただいた理由を手掛かりに、浄土真宗における念仏者の世界観をお話しいたしました。デジタルリマスター用の音声原本が事故で失われたため、音質はいまいちです。すみません。

住職は大阪の「獅子吼の会(現代法話研究会)」に所属しています。まだまだ入りたての新米ですが、大切な勉強のご縁をいただいております。

この動画は「正信偈四十話」と題して、親鸞聖人がお書き下された正信偈の味わいを会員で順にお話しするという連続法話企画の一環です。住職も2回チャンスをいただきました。

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁

第34話では歎異抄第2章を手掛かりに善導大師のお仕事をいただきつつ、因縁果についてお話ししました。少し詰め込みすぎたかもと反省しております。デジタルリマスターによりかなり聞きやすい音声となっております。

住職は大阪の「獅子吼の会(現代法話研究会)」に所属しています。まだまだ入りたての新米ですが、大切な勉強のご縁をいただいております。

この動画は「正信偈四十話」と題して、親鸞聖人がお書き下された正信偈の味わいを会員で順にお話しするという連続法話企画の一環です。住職も2回チャンスをいただきました。

--哲学本来の方法は、解決不可能な問題を解決不可能なままに明晰に把握し、次に、何も付け加えずに、たゆまず、何年もの間、なんの希望も抱かずに、待機のうちに、その問題をじっと見つめることにある。この基準にてらすと、哲学者はほとんどいない。ほとんどといってもまだ言い過ぎなぐらいである(シモーヌ・ヴェイユ)