問いと答え07 ・なんのために生きているのでしょう?
住職法話>問いと答え>第7回 なんのために生きているのでしょう?
人間、何のために生きているのでしょうか。
答え:
大切なご質問です。まずはこちらをお読みください。
種田山頭火(たねだ さんとうか)は次のように言っています。
死にたくないから生きたときもあった。
死なないから生きたときもあった。
生きたいから生きたときもあった。
しかし、生きずにはおれないから生きるときがあってもよいのではないか。
放浪の歌人、山頭火は常に死を眼前にして生を問い、生きている証を俳句に表して日々を送っていたのでしょう。その問いを通して「生きずにおれない」感動を見出していたと思われます。
大体私たちは、気がついたら人間に生まれていました。このことをするために人間に生まれたいという意志を持って生まれて来た人は一人もありません。人生を電車に譬えるなら、乗った駅も覚えなく、行き先もわからないまま、今、電車に乗っている。そして死という終着駅が必ず来る。しかもそれはいつ来るかもわからない。「欲望という名の電車に乗って、次はー終点、墓場でございまーす」と言った人がありますが、このようなアナウンスがお互いにそろそろ聞こえてくるのではないでしょうか。
平生何とも思わず生きていても、死によって「この世の終わり」を見るとき、足もとから「人間、何のために生きているのか?」を問われてまいります。
仕事をするために生きていると言う人もある。また、家庭を守り、子どもを育てるために生きていると言う人もありましょう。また「世のため、人のため」に生きていると言う人もあります。いや、人生は享楽を求めるためだと言う人もあります。
しかし、仕事も定年や退職と言うことがあり、その後も人生は続きます。余生は趣味や旅行、スポーツ、教養のために生きると言っても、どこか暇つぶしの感が拭えません。
子どもを育てるのが生き甲斐と言っても、子どもはやがて独立して、手もとから離れてゆきます。享楽追求の生き方には、常に空しさが伴い、また健康を害する恐れがあります。
ある女子高校生が正親含英(おおぎ がんえい)先生に尋ねたそうです。「私はなぜ人間に生まれたのですか。なぜ女として生きていかなくてはならないのですか」と。そのとき先生は即答されたそうです。
「ほんとうによい問いを持たれましたね。どうぞその問いを大切にして、一生涯持ち続けてください。必ず素晴らしい人生が開かれてきますよ」
私たちもこの問いを大切にしたいものです。そのことによって、問いのほうから大切な応答が聞こえてくるのではないかと思います。
大阪教区教化センター発行「教化センター通信」より・2013年2月翫湖堂所収
■住職追記■
執筆中
以前、ブログに掲載したものを転載しております。