住職法話>問いと答え>第1回 どうして宗教が必要なの?
お釈迦さまは、元々は一国の王子でした。 地位、名誉、財産、美しい家族……。誰もが羨む「立派な生活」のすべてを持っていた彼が、なぜ29歳ですべてを捨てて出家したのでしょうか。
それは、「老・病・死」という人間の限界を直視したからです。
どんなに富を築き、健康で、家族に恵まれていても、いずれ必ず「老い」と「病」が訪れ、最後には「死」によってすべてが崩れ去ります。お釈迦さまは、どれだけ立派に見える生活も、死の前には色あせてしまうという「虚しさ」に気づいてしまわれたのです。
「自分さえ幸せならいい」というエゴを満たすのが宗教ではありません。 必ず訪れる死を見据えた上で、それでも「生まれてきてよかった」と言い切れる、本当の依りどころ(真実)を見つけること。それが、お釈迦さまが求められた宗教の定義なのです。
仏教の言葉が難しいのは、それだけ私たち人間の人生が「一言では片付けられないほど重い」からです。
「宗教なんてなくても平気だ」 そう思う方は、今、とても充実した日々を送られているのだと思います。けれど、仏教はあえて、その「充実」の中身に問いを投げかけます。
「あなたにとって、本当に大切なものは何ですか?」
お金ですか? もちろん大切です。でも、もし家族があなたの顔ではなく、通帳の残高を見てニヤニヤしていたらどうでしょう? きっと虚しくなるはずです。「お金がすべてではない」と、誰もが知っているからです。
では、健康ですか? では、病気になった人は「大切なもの」を失った敗北者なのでしょうか? むしろ病を得て初めて、人の優しさに気づくこともあります。
家族ですか? 何より大切です。しかし、進学や結婚、あるいは死別によって、いつかは離れていきます。一番近いはずの家族と心がすれ違うことほど、苦しいことはありません。
私たちが「これさえあれば」と頼りにしているものは、
案外、脆(もろ)いものばかりです。
「宗教なしに立派に生きている人」。 それは、もしかすると「人生の根本問題に、まだ出会わずに済んでいる人」と言えるかもしれません。
自分の力でコントロールできるうちは、宗教は必要ないように思えます。しかし、ひとたび「老・病・死」や「別れ」といった、自分の力ではどうにもならない壁に直面したとき、それまでの「立派な生活」は音を立てて崩れてしまうことがあります。
仏教が必要になるのは、まさにその時です。 今の生活を否定するわけではありません。ただ、「何があっても崩れない、本当の依りどころを持っていますか?」と、仏さまは静かに問いかけているのです。
以前、ブログに掲載したものを転載しております。