裏を見せ 表を見せて 散るもみじ
住職法話>大和大谷別院寺報>第10回 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ
住職は2017年10月3日より2019年4月1日まで、奈良県大和高田市にある「大和大谷別院」の輪番事務取扱(代表役員代務)を仰せつかりました。短い期間でしたが、ご門徒さんと直接触れ合う幸せな時間をいただきました。当時発行の寺報1面に掲載した小話を掲載します。
裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 〜良寛〜
今月の言葉はかの有名な「良寛さん」の句です。子ども好きでおだやかな良寛さん。その人柄の良さは後世の誰もが認めるところでしょう。しかし彼の死因をご存知でしょうか。一説では直腸癌、もしくは大腸癌であったといいます。治療法や投薬が現代のようにいろいろ確立していない当時、いくら日頃穏やかな良寛さんであったとしても、おそらく病の激しい痛みに苦しまれたことでしょう。ある方は糞尿の中を転げ回って亡くなってゆかれたのだとも言います。いずれにせよ、決してのちの小説に彩られたような穏やかな末期ではなかったようです。
しかし、だからといって優しく子ども好きの良寛さんの「生きざま・人柄」はいささかも色あせず、傷つくことはありません。私たちの人生にはいつでも裏と表があります。苦楽、盛衰、悲喜…人生の終わりにどちらを迎えようとも、ひとりの人間が生きぬいたことの価値が上下することはないのです。ちょうど紅いもみじの美しさは裏と表との双方があって成り立つように。
いつも法話で申しますが、人生には四つの決まりごとがあるといいます。「1つめ・繰り返せない」…どれほど毎日同じ繰り返しだといっても、私たちは2度とこない1日を生きたのです。「2つめ・代わってもらえない」…どれほどつらい悲しい出来事も誰にも代わってもらえません。また逆に、どんなに嬉しい気持ちになってもそれを分け与えることはできないのです。そして「3つめ・必ずおわりが来る」、「4つめ・そのおわりがいつ来るかわからない」。これが人生のきまりごとです。
台風や地震が相次ぐ中、私たちはお互いにいつ来るか知れぬ人生のおわりと隣り合わせで生きています。そんなことは考えないように避けて生きるのでしょうか、それとも厳粛なる四つのきまりごとを目の前に据え、今からの人生をどう生きるべきか考えるのでしょうか。
私は「終わりを見据えて生きる」後者が大切と思います。なぜなら「彼岸の会(え)」とは日没すなわち1日の終わり=人生の終わる方向をまっすぐに見据えることに通じているからです。みなさんはどうお感じでしょう。合掌。
大和大谷別院寺報 2018年9月号掲載分