問いと答え02 ・正信偈ってどんな〝お経〟?

住職法話>問いと答え>第2回 正信偈ってどんな"お経"?

問い:真宗での平生(へいぜい)のお勤めは「正信偈(しょうしんげ)」を用いると聞きますが、なぜ「正信偈」をあげるのですか。また、それはどんなお経ですか。

答え:

大切なご質問です。まずはこちらをお読みください。

「正信偈」は親鸞聖人が作られた偈文(歌)であって、正式には「お経」とは言いません。「お経」とは釈尊(お釈迦さま)の説かれたものだけを言います。

「お経」を読むことを「読経(どきょう・どっきょう)」といい、「正信偈」や「ご和讃」を読むことは「勤行(ごんぎょう)」とか「おつとめ」といって区別しています。

「正信偈」は、親鸞聖人の生涯かけての著作「教行信証」全六巻のうち、第二巻「行巻」のしめくくりとして書かれた漢詩です。この部分を取り出して、「ご和讃」と共に朝夕同行衆と一緒に唱和することを勧められたのが蓮如上人であり、それが今日に至るまで真宗の「勤行・おつとめ」となっています。

「正信偈」の内容は、親鸞聖人が浄土三部経(仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経)の教えと、その教えに感動された七高僧(龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然)の御領解をとおして、深遠な仏恩に目覚められた感動をうたわれたものです。したがって、前半は「仏説無量寿経」に依り、後半は七高僧の行跡とご領解に依って綴られています。

深遠な仏恩に感動されたということは、親鸞聖人ご自身が「生まれた意義と生きる喜び」を見出されたということです。広大なご恩をいただき、大いなる阿弥陀仏の中に生かされていた自身の事実に目覚められたのです。この事実に目覚め、生きていることに感動をもって生きるか、あるいは無自覚に流されて生きるかでは、大きな違いがありましょう。

「正信偈」は、まさに生きることの感動のほとばしりが言葉となり、歌にまでなった「生命の讃歌」であります。その一言ひとことに、親鸞聖人が「南無阿弥陀仏と称えましょう」と呼びかけておられる歌であります。

生命の讃歌「正信偈」は、遠く広く祖先を通して確実に多くの人びとに深い生命の感動を与え続けて、親から子へ、子から孫へ、先輩から後輩へと受け継がれてきたのです。

私たちも、平生「正信偈」をお勤めすることによって、親鸞聖人と感動を同じくする。そこにおのずから生きる力と喜びが湧き上がってくることでしょう。また、一人でも多くの人びとと共に唱和することによって、感動の輪を広げてゆきたいものです。/end

大阪教区教化センター発行「教化センター通信」より・2010年04月翫湖堂所収

住職補記・執筆中

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