問いと答え12 ・真宗大谷派ってどんな宗派?

住職法話>問いと答え>第12回 真宗大谷派ってどんな宗派?

問・仏教には多くの宗派がありますが、真宗大谷派というのはどのような宗派なのか教えてください。

◆親鸞聖人以前◆

日本の仏教は、奈良時代には南都六宗と言われ、六つの宗派がありました。さらに平安時代に天台宗と真言宗が加わって八宗となりました。

◆親鸞聖人の登場◆

時代が下って鎌倉時代になると、法然上人が興された浄土宗、親鸞聖人の浄土真宗、また曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などができ、現在の日本の仏教宗派がほぼできあがっています。

法然上人が本願念仏による救いを説いて浄土宗をたてられ、そのお弟子であった親鸞聖人は法然上人を慕い続け、当時の政権に弾圧を加えられて流罪になったのちも思索を深められ、法然上人の教えを正しく受け伝えられました。のちに縁あって関東でも布教され、多くのご門徒が生まれました。

◆本願寺のはじまり◆

京都で親鸞聖人が亡くなられた後、お弟子たちは聖人のご遺体を荼毘に付し(だび・火葬のこと)、遺骨を葬り、影像を安置したお廟(びょう・お墓のこと)を建てました。さらに、親鸞聖人の曾孫である覺如上人は、ここに本尊として阿弥陀仏を安置し、「本願寺」と名づけられました。これが本願寺の始まりです。

◆蓮如上人の登場◆

その後、第8代蓮如上人の頃になると、本願寺はほとんど忘れ去られたような存在となっていました。しかし、蓮如上人の命懸けの布教により、多くの人が集まるようになります。ただ、大きくなった教団は京都で迫害を受けることも多く、永らく本山の地を定めることができませんでした。蓮如上人は滋賀〜福井、大坂と居を移し、各地でご門徒があつまり、多くの寺院が建立されました。

石山本願寺模型(難波別院蔵)

教如上人廟所(五村別院)

◆戦国時代◆

戦国時代には、本願寺は今の大坂城(つちへんです)の地に移り、大坂本願寺・石山本願寺と呼ばれていました。

織田信長は第11代顕如上人に対し、無理難題を言いつけ、大坂の地から追い出そうとします。信長の狙いは武力による天下統一でしたが、それには門徒衆が平和的に自治を行う本願寺は邪魔だったのです。(なお、楽市楽座は本願寺の自由交易を手本にしたといわれています)それに、本願寺のある上町台地は地の利がよく(のちに難攻不落の大坂城になります)、これも信長にとって喉から手がでるほど欲しい土地でした。

この横暴に全国の門徒衆は一致団結して立ち上がります。石山合戦と呼ばれる10年戦争の始まりです。後に門徒衆の勇猛さを、漢詩で有名な賴山陽が「抜難南無六字城(ぬきがたし、南無六字の城)」と讃えています。結果的にこのことで信長の野望は阻止されてゆくのでした。

◆東西本願寺〜大谷派の誕生◆

なお、当時の信長への対応を巡って、その後の豊臣秀吉の時代、穏健派であった准如上人(弟)と強硬派であった教如上人(兄)との間で跡継ぎ問題がおこります(石田三成と千利休の確執など、実はとても複雑な歴史背景があるのですが、省略します)。

その後関ヶ原合戦前夜の情報戦に際して、全国の門徒衆と共に徳川家康に協力した教如上人は、その後も家康と親交を深めます。そして家康は現在の京都駅前の土地を寄進し、東本願寺が建立されます。その前に弟の准如上人は西本願寺を継いでおられましたから、こうして東西本願寺が生まれ、また教如上人方としての真宗大谷派が誕生することになるのです

ちなみにこの時期、大坂でも東西本願寺の寺院が建立されています。西本願寺の寺院が北御堂・津村別院、東本願寺の寺院が南御堂・難波別院(教如上人によって現在の東本願寺に先立って建立されました…当時の鐘が今も遺されています)です。この2つの御堂を結ぶ参道を「御堂筋」と呼びました。のちに拡張されて、いまでは大阪のメインストリートとなっています。

また、教如上人が後継問題で秀吉により隠居させられたことを聞いて、滋賀県・湖北地方の門徒衆が団結し、協力して建立したのが五村別院です。五村別院には教如上人の墓所があります。

◆さいごに〜「真宗」の呼称◆

浄土真宗のことを略して「真宗」とよぶようになるのは、江戸時代に「宗名事件(しゅうみょうじけん):宗名論争」が起き、「浄土真宗」の名が奪われそうになったことが遠因です。

浄土宗の側より「真」の字はけしからん、削除せよと言われたのです。当時は幕府でも決着をつけられず、結局「3万日(約百年)のお預かり」ということで仲裁されますが、明治期〜昭和にかけて、2度もこの問題は再燃します。明治期の再燃時には、浄土真宗各派(10派あります)が相談し、「真宗」の呼称を採用しますが、昭和の時期に西本願寺のみが「浄土真宗」の呼称を大切にされました。それもこういった歴史的背景があってのことです。

私たちの先輩は、時代の節目ごとに「浄土真宗」という名を確かめ、「浄土」と「真」の文字を大切にしてほしいという願いを我々に託してくださったのですね。

法蔵館発行「こんなことがききたかった 真宗門徒質問帳 (山本 隆 氏 著)」を底本に編集・加筆し、寺報に掲載したものを転載しております。