問いと答え13 ・真宗のお坊さんの役割は?

住職法話>問いと答え>第13回 真宗のお坊さんの役割は?

問・昔のお坊さんは、家族を捨てて、厳しい修行をされていたと聞きますし、現在も山に篭もったり、寒中に滝に打たれたりしていますが、真宗のお坊さんは何をされるのですか?

お釈迦さまの教団はそもそも「出家教団」といい、家を捨て、欲を棄てた僧ならびに尼僧の集団でした。

ですから、南伝仏教の伝統を持つタイやミャンマー、スリランカなども、また北伝仏教の伝統を受け継ぐ中国や韓国の僧侶もみな、出家者の集団です。我が国でも、江戸時代までは僧侶の肉食妻帯は禁止され、違反した者は厳しい罰に処せられていました。

ところが、明治維新になって、明治政府は寺院の持っていた領地を取り上げるとともに、仏教の保護政策をやめました。そして同時に、寺院や僧侶への統制・介入もしなくなり「蓄髪妻帯勝手たるべし」という布告を出しました(1872年太政官布告)。これ以後、僧侶の妻帯が始まったのです。

その結果、我が国の仏教の僧侶だけが、事実上、「出家者」ではなくなりました。そうして、日本以外の国の仏教徒から、日本の仏教は堕落したとみなされるようになったのです。

ところが、鎌倉時代より浄土真宗を開顕された親鸞聖人は背景が異なります。聖人は当時、国家によって強制的に僧侶の資格を剥奪されました(承元の法難)。それはあまりにも理不尽な国家的策略でありました。悩み抜いた聖人は、「非僧非俗(ひそうひぞく・国家の認めた僧ではないが、仏道を捨てたものではない)」という立場に立たれました。

のちに赦(ゆる)されたときにも、聖人はその姿勢を崩さず、蓄髪はもちろん、肉食妻帯の在家生活を営みながら仏道を歩まれた方だったのです。

江戸時代には真宗のほとんどの寺院が寺社奉行の管轄でなかったといいます。寺町といった特別な行政管理区域に属することもなく、一般家庭のあるような、普通の村の中にあたりまえのように存在していたのです。

そもそも真宗寺院のなりたちは、元は国家施策によって建立された寺院(国分寺など)であった場合もありますが、どちらかと言えば、在家生活の中で仏法を聞く場所として、「道場形式」をベースに生まれた場合が多く、このことに意義があるわけです。

ですから、親鸞聖人のお弟子の多くがお坊さんとなられましたが、他の宗派のお坊さんのように、自分の悟りを得るための出家ではなく、お念仏の教えを自らが聞信(聞き信じること)すると共に、それを多くの人々に伝えるためにお坊さんになられたのです。

真宗のお坊さんは、自分一人だけが修行をして悟りを得ることを目的にしてはいません。

むしろ家庭生活の悩みや苦しみ、日常生活の喜びや悲しみをご門徒と共にし、一緒にお念仏の教えを聴聞すること、そしてご門徒の方々に仏法のお取り次ぎをすることを第一の使命としているのです。

おわり

法蔵館発行「こんなことがききたかった 真宗門徒質問帳 (山本 隆 氏 著)」を底本に編集・加筆し、寺報に掲載したものを転載しております。