問いと答え08 ・なぜ真宗の教えが「真実」なの?

住職法話>問いと答え>第08回 なぜ真宗の教えが「真実」なの?

お釈迦様の説かれたことは一つのはずなのに、なぜ現在たくさんの宗旨、宗派があるのですか。

また、その中でなぜ真宗が真実の教えなのですか。

答え:

大切なご質問です。まずはこちらをお読みください。

お釈迦様は、人類ではじめて仏陀(ブッダ・目覚めた人)となった方です。したがってお釈迦様の教え、仏教はすべて仏と成る教えです。その意味では、お釈迦様が説かれたことは一つでしょう。しかし、その方法・道がいろいろあるわけです。

お釈迦様のご説法は、八万四千の法門といわれるほどたくさんの経典となって残っています。これは、八十年のご生涯の中で、実にいろいろな人たち、即ち境遇も違い、才能も違い、性格も違い、経験も違うたくさんな人たちと出遇われ、それぞれの人たちに応じて法を説かれたのです。気の長い人には長いように、短い人には短いように、能力のある人にはあるように、無い人にはないようにそれぞれの個性に応じた、いわゆる「対機説法」をされたのです。

だから残された経典もたくさんであり、また後世の人たちがそれぞれの経典を宗(依り所)として多くの宗旨・宗派が成立してきたのです。

法然上人・親鸞聖人はこれらの多くの教えの中から、自分の救われる教えはどの教えかを求め続け「一切経」を何度も読み、あらゆる修行を実践されたのですが、真剣に実践すればするほど、教えのとおりに成らない自分の現実に悩みぬかれました。

その苦悩のあげくに「ただ念仏して弥陀に助けまいらす」という本願救済の法に遇われたのです。この如来の本願の法こそは、お釈迦様をして目覚ましめた法であり、一切の教えの根底にはたらいている真実であることにうなずかれました。親鸞聖人は釈尊ご出世の本懐はただこの本願真実一つを説かんがためであり、いろいろな人たちに様々に説かれた教えはこの本願真実に目覚ましめんための方便の教えであったと意義づけられたのです。

真実の教えとは、いつの時代でも、どの国、どの人種、民族でも、どのような生き様をしている人でも平等に救われる教えでなければなりません。しかも、即時性と簡潔性を備えていなければ万人の救いとはなりません。明日の命も保障されない私たちにとって、即時に救われる道でなければ間に合わず、また能力に関係なく誰にでも実践できる法でなければかないません。

このようないつでも、どこでも、だれにでも、ただちに、容易に救われる(目覚めた人と成ってゆく)本願の法こそは、仏道の根底であり、ひいては人間存在の根底であることを明かされ、それを浄土真宗と名づけられたのであります。/end

大阪教区教化センター発行「教化センター通信」より・2010年06月翫湖堂所収

■住職追記■

執筆中

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