雑談座談のススメかた
具体的な実施方法
STEP1
「問いと答え」を用意します。問いと答えで両面印刷でも結構ですし、別々の印刷でも結構ですが、「問い」から「答え」が一望できないほうがいいでしょう。
また題材はできれば「自作」ではなく、宗派刊行物などに含まれる「一定の編集者の目が通っているもの」をおすすめします。
STEP2
同朋の会を開きます。会は2部制で、最初は「問い」だけに向き合います(30〜40分ぐらい)。
とはいえ、問いにこだわる必要はまったくなく、自由奔放に「脱線」していただきたいのです。脱線がいかにぶっ飛んだものになるかどうかは、司会くださる住職・スタッフの腕の見せどころ。
STEP3
たっぷり「雑談」したら、司会者が頃合いをみて「答え」の朗読に移ります(5分)。
雑談がどれだけ脱線しても、この「答えの朗読」の間に、人の思考はスタート地点に帰ってくるものです。そして「真宗ではこう考えるのか」「自身の身に引き当ててみること」を体験いただきます。
STEP4
STEP3で「雑談座談」は基本的に終わりです。拍子抜けされるかもしれませんね。「少し物足らないぐらいがちょうどよい」のです。
もちろん答えに対して「気に入らない」という雑談展開もあってよいでしょう。住職・スタッフが「補足」されるのもまたよろしいでしょうね。
成功のためのコツ・その1
1班の人数は6人まで
「人はなぜか7人以上集まると、パブリック(公的な)発言をする」のだそうです。理由はわかりません。何か心理的なものがはたらいているのでしょう。経験上、スタッフを含めてその場に6人以内という班分けをすると劇的に盛り上がりが変わります。
成功のためのコツ・その2
お茶とお菓子は必須です。
のどを潤すお菓子と、舌をなめらかにする甘いものは必須項目です。大阪のおばちゃんのように「アメちゃん」を置いておかれると持ち帰れる・その場でも食べられるとあって便利ですよ。アメちゃんでくじ引きをして班分けをすることもあります。
雑談座談はこうして生まれました〜経緯を知っていただくのも良いかもしれませんね〜
1.発端
今から20年ほど前、前住職がふと気がつきました。「そういや、うちには同朋の会(どうぼうのかい)がないぞ」と。
同朋の会とはお寺に集っていただき、好きなことを語り(座談)、親睦を深めつつ、仏教の教え(法話など)に触れていただくという、浄土真宗(真宗)独自の「仏教とのであいかたです。真宗のお寺の大切なものがない、そりゃ大変だ。となりました。
2.同朋の会、頑張ってみたものの
そこで同朋の会を立ち上げて、理解のあるご門徒さんと学習会を始めてみました。
ところが問題が。「ネタがない」「経費がない」「話が続かない」…困った。
「ネタがない」とは住職さん自身のあるある体験です。「経費がない」とはお寺の規模ではよくある話。「話が続かない」とは、せっかくお越しいただいても、仏教のことで何を話していいのかわからない、というご門徒さんの切実な悩みだったのです。
3.「問いと答え」を使ってみる
前住職はふと難波別院(住職の勤務先)発行の「南御堂新聞」に目がとまりました。そこには「もしもし相談」といって、身近な悩み事をQ&A形式で紹介し、「浄土真宗(真宗)ならどう答えるか」わかりやすく書かれていたのです。
少しだけ工夫をして「問い」と「答え」を分けて配ってみました。
結果はおおあたり。身近な問題ならご門徒さんも好き勝手にどんどんお話しくださいます。さらに答えが気に入らなくても「この答え、気に入らんわい」などと、新たな問いとの「であい」が生まれたのでした。
4.雑談座談のスタイル完成
その後、現住職が東本願寺職員として「教区駐在教導」という役職にあったとき、この「問いと答え」スタイルをベースに「講師を呼ばなくてもできる同朋の会」スタイルを提唱し始めました。
それは「問い」だけを数十分皆で考え、好き勝手にお話をして盛り上がり、そして最後に「答え」を読む、ただそれだけのスタイルです。どこで実施しても不思議と盛り上がります。かくして「問いと答え」を使った「雑談座談」ができあがりました。
考えてもみてください〜苦痛な「座談会」〜
住職が「駐在教導」として各地に出向していたとき、一番悪い事例が「住職・スタッフがしゃべりすぎ・仕切りすぎ・そして仏教を押し付けすぎ」な座談会でした。時に参加者として加わってもみましたが、あまりに苦痛でした。冗談ぬきで「二度と来たくない」と思わされるものもありました。
「〜しすぎ」な住職・スタッフには悪意はなく、きっと真面目に「仏教を持って帰ってもらいたい」「真宗に触れてもらいたい」と思っているのでしょう。でも、気持ちはわかりますが、「人が人の心や理解度を”その場で簡単に”コントロールできるものでしょうか」。
仏教への興味や理解は「人それぞれ」。だからこそ、仏教は各派複雑に分岐したのです。
ならば、雑談座談によって「いっぱい喋ってすっきりしてもらい」・「住職がその雑談に楽しくつきあってくれて」・「自分なりに仏教の教えに時間をかけて向き合っていただく、その場と時を提供する」のが、お寺として大切なことなのではないかな、と考えた結果がこの「雑談座談」です。
ご注意ください
過度な期待は禁物です
時折「雑談座談会をしたら、お寺にお参りする人が増えるのか」「こんなことで真宗の教えに目覚める人が増えるのか」というお問い合わせをいただきます。…失礼ながら、ため息がでます。
一言申し上げますね。「布教ってそんな短絡的なことでしょうか」。
ご門徒さんに宗教者として寄り添うためには「さまざまなカード」が必要です。教えとの出遇いはひとそれぞれ。住職さんだってそれぞれ異なる出遇いと思いとを経て、お寺を継がれたはずです。
雑談座談は多くのカードの「ほんの1枚」です。そのぐらいのきもちで気楽に・継続して取り組んでいただく思います。あくまでひとつのヒントとして提案しているのです。
「これが決定打」なんて過度な期待はされませんように。