真広寺・報恩講の荘厳…これもまた、真実の浄土を語る言葉を持たない人間(わたしたち)のために、人間(諸先輩方)が残してくださった〝導きの姿〟なのです
今回は、浄土和讃の34です。
ここからのご和讃は「真土の讃嘆」です。
真土とはお浄土を表します。
お浄土を讃嘆(ほめたたえる)されるご和讃ということです。そのなかでも特にここから3首は「総讃」と呼ばれ、お浄土の「あらまし」をほめたたえておられます。
「妙土」もお浄土と同じ意味です。妙とは不可思議・すぐれたという意味です。真土といい、妙土といい、とにかく浄土を形容しきれる言葉を私たちは持ちません。だからいろんな言葉で表現するのです。
その妙土が広大であり、およそ数量などで測れる限度を超えている(超数限)といいます。いわば、最大の賛辞ですね。
私たち一切の生きとし生けるものを救うために、そのすぐれた浄土を打ち立てるべく、四十八種ものお誓いを立ててくださったのが「法蔵菩薩」です。正信偈の冒頭にお名前が出てきますね。これまで申してきましたとおり、法蔵菩薩は世自在王仏に出あわれ、争いのない世界を心底願われました。そしてそののち、五劫の修行(五劫思惟)に入られました。そこで見出しされたのは「ひとつの道」でした。
それは、浄土を見ることも感じることもできない衆生が、いのちを賜ったことをすなおに素晴らしいと喜び、救われる道です。その道を四十八の願(本願)にして、浄土を整えられた(荘厳)のです。
特に、四十八願のうち・十八番めの願いには「たとえ、わたし(法蔵菩薩)が仏(阿弥陀仏)になったとして、わたしの国に生まれたいと願ったひとびとが、わたしの名前を呼んでくれたとき、私は仏となって皆を救う。そうでなければ仏にはならない」と誓っておられます。
実は、このことこそ、浄土真宗が「南無阿弥陀仏」を大切にし、お称えする由縁です。
ただ、名を称えるだけで「いつでも」「誰でも」「かならず」、摂(おさ)め受けとめてくださる(大摂受)。しかもそうでなければ修行を終えない(仏にならない)という…。自らが歩まれた、五劫の永きにわたる修行の成果を独り占めすることなく、誰しもにさしむけてくださる、法蔵菩薩(阿弥陀如来)の清らかなるお誓いに、私たちは稽首歸命(心の底からありがたく感じ入ること)させていただきましょうと、親鸞聖人は呼びかけてくださっています。
(翫湖堂・2017年7月号所収・web用に再編集)