仏教が本質的に繰り返し説くことは、「受け取りなさい」ということです。ともすれば人間は自分が努力をして・ハシゴを登って・その先に真実に到達するんだ、なんて勘違いを起こしがちです。
以前から申しておりますが、私たちは「見たまんまの主観まみれ・現実」か、あるいは「主観を除いた出来事・事実」しか見えないのです。だから真実なんてホイホイ言葉にすべきもんじゃありません。
でも、真実の側からは私たちに「これを受け取ってくれ」と休むことなく功徳が差し向けられているんです。それを「他力」と言います。そしてその願いに気づきなさいと仏教は言うのです。
今回は、浄土和讃の45です。
「総結勧信」と呼ばれる四首の御和讃の一首目です。
曇鸞大師の「讃阿弥陀仏偈」をベースに親鸞聖人がお作りになった御和讃も、残りわずかとなりました。
十方とは東西南北に加えて東南・南西・西北・北東・それに上下方向のこと。私たちから見て全方位ですね。
三世は過去・未来・現在のことですから、今の私の人生だけじゃなく、その前もこれから先も、諸仏(無量慧)はお出ましになっていますよ、ということです。そしてその諸仏方はいつでも悟りの世界(一如)におられ、二つの智慧(二智)でもって平等に誰もを導いてくださいます。という意味です。
『二つの智慧』とは権と実との二つといわれます。人間世間の煩悩と背中合わせの権智、それと一如のさとりの世界の実智です。いわば物質世界を見渡す権智、そして精神世界を透徹する実智という二つの智慧とご理解ください。
摂化はおさめとって捨てずに、私たちを導く(化導)してくださる意味で、随縁とは縁に随ってという意味です。
さあ、また難しいことが書いてあるぞ、と思われるかもしれませんが、実際に考えてみればそんな難しいことではありません。要するに『過去未来現在、全方位、私たちには仏法が届いているし、先輩方はちゃんと一如の真実の世界に行かれたぞ。さて、あなたは日頃からきちんと私自身、仏法に出遇えているか?』ということを喩えているのです。
それこそ全方位、過去から未来まで、そして常に側にあって、さらにはいろんな縁をもってして導いてくださるとは、そこまで「至れり尽くせり」であるということです。皆さんはどっぷりと仏法のご縁にすでに包まれているのです。
だのにどうですか?いつも不平不満の塊ではありませんか?コロナウイルス騒動で明らかになったのは「自分のちっぽけな正義を振りかざして人を殴りつける」社会でした。
美しい国・日本の根性・正体は、風向きが変われば平気でお互いを殴りあう国でした。自分目線でしか物事を見られない人が、自粛警察となり、SNSでの批判を繰り返し、それは今も続いています。極めつけは、「そりゃ遠い誰かのこと、私のことじゃない」と思っているあなた。あなたこそが最も罪が深いのですよ。
一如・真実の世界から包まれ導かれているのに気づかないのです。全身が煩悩づくめのくせに、いかにも悟ったかのように他者を断罪し、自分は関係ないと言い切る私。…これ全部、一如の世界の諸仏から心配されているんです。
気づかんとアカンよ。と。
でも気づかないんです。鈍いんです。でもね、大丈夫。
こんなに私たちから裏切られたとしても、諸仏はいつでも・どこまでも私の周りで待ってくださっています(平等・摂化・随縁)。私個人にとっては都合のいいことも悪いことも含め、全てを「縁」として導いてくださっているんです。文字通り「不思議」なことじゃありませんか。
(翫湖堂・2020年10月号所収・web用に再編集)