赤ちゃんはそこにいるだけで「ほがらか」をもってきてくれる存在です。条件はありません。また、お互いに「ほがらか」を侵害することもありません。
浄土のひかりはどこまでも、「ほがらか」なのです。
今回は、浄土和讃の40です。
お浄土の素晴らしさを謳い上げる御和讃はまだまだ続きます。
今回は「浄土の宝蓮華(ほうれんげ)」を表します。お浄土には蓮の華が咲き満ちておりますが、その一つ一つの華は三十六百千億の光を放っていて、その光が届かないところはない、という意味の御和讃です。
諸説ありますが、三十六百千億の由来はこうです。【浄土の宝蓮華は一つ一つの花に百千億のはなびらがあり、そのはなびらのひとつひとつに「青・白・玄・黄・朱・紫」の6色の光があり、互いに映しあって光り輝いている。よって6×6×百千億=三十六百千億である】と。なんとも壮大な世界観ですね。
御和讃ではさらに、それらの光はほがらかで、光の届かないところはない、と謳い上げられます。目を刺すようなまばゆい光でもなく、また感じ取れないようなかすかな光でもありません。「ほがらか」という大変温かみのある表現です。
実はこの御和讃、赤ちゃんがお生まれになった記念に、お勤めで使う御和讃です(このお勤めのことを「初参式(しょざんしき・はつまいり)」といいます)。
赤ちゃんとは、「いのちそのまんま」の姿です。どんな貧しい家や、わがままな親のもとに生まれても、えらばず・きらわず・みすてずにいます。人間の言葉もまだ理解できませんし、歩けません。目も実ははっきりとは見えません。ほんとうにただ横たわっているだけの存在です。
でも、赤ちゃんが存在してくれるだけで、不思議と周囲にはほがらかな光が挿したようになりますね。ほんとうに不思議です。
そして一番大切なのは、かつて、私たちはだれもがそういう姿で生まれてきて、周りをほがらかにしていました事実です。もちろん、その姿のままではかよわすぎて、人間界を生ききることができません。そこで大きくなるにつれ、この世の知恵をたくさん身につけてきたのです。
ただ、悲しいことにその知恵を身につけたぶんだけ、赤ちゃんの時に持っていたほがらかな光はどこかにかすんでしまいました。それが今の社会と大人の姿なのではないでしょうか。
この御和讃を初参式に読むことで、「いのちそのまんまの姿は、今もあなたの中に宿っているのだから、どうか思い出して欲しい」、そんな願いが響いてくるかのようです。
「初参式」につきましては、お寺の本堂で挙行いたします。お申し込みの上、お参りくださいますと本山・東本願寺から記念の念珠が授与されます。眞廣寺でも随時うけたまわっておりますので、ぜひご検討ください。
(翫湖堂・2019年4月号所収・web用に再編集)