師である世自在王仏(饒王仏)のみもとで、法蔵菩薩が深く長い思索をされたことを謳う御和讃です。
あまたある仏の国々(十方浄土)を見渡しながら、人類を救うためたった一つの願いを選び抜く、阿弥陀さまの原点の姿を描きます。
今回は、浄土和讃の54です。
冒頭の「南無不可思議光佛」とは、“九字名号”と呼ばれる「南無不可思議光如来(9文字で構成されていますね・だから九字名号です)」が元となっており、意味は「南無阿弥陀仏」と同じです。
ほかに「帰命尽十方無碍光如来」という“十字名号”もあります。実はかの正信偈の冒頭(帰命無量寿如来・南無不可思議光)は、これらの「名号」のおこころ(意義)を、そのまま並べているのです。
さて、続く饒王仏(にょうおうぶつ)、ききなれないですね。いったい饒王仏とはどなたかと申しますと、実はこちらも正信偈に出てこられています。「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」というと、聞いたことがある、という方もあるでしょう。実は同じ仏さまのお名前です。
今回の御和讃は「阿弥陀仏のご誕生物語」とでも申しましょうか。原典は「仏説無量寿経」に書かれているお話です。
“昔むかし、ある国に王様がおられました。お経には詳しく書かれていませんが、別伝では「無諍念王(むじょうねんおう)」とも呼ばれます。諍(じょう)とはいさかい・あらそいの意味。それが無いことを念じるという名前のとおり、人々の争う姿を憂いておられました。
この王がある日、「世の中を自在に広々と」生きている仏、その名の通り「世自在王仏(饒王仏)」に会われます。その伸びやかな生き方に、王は「私も彼のようにありたい。そして、いつでも・どこでも・だれでもが、選ばれず・見捨てられず、包みとられる(摂取する)世界(浄土)を作りたい」と願われるのでした。
そこで王は決意し、王位を捨てて出家され、「法蔵(ほうぞう)」という名の菩薩(修行者)となられました。
法蔵菩薩は、師である世自在王仏(饒王仏)の「みもと」で、理想の国土の作り方を尋ねますが、仏は数多くの実例(諸仏の浄土・十方浄土)を見せつつも「どの道を選ぶか(あなたが仏としてどのような国土を建てるのか)は、自ら考えなさい」と仰います。
そこで法蔵菩薩は、「五劫」という気の遠くなるような長い時間をかけ、考えに考え抜きます。そうしてついに、選び抜いた四十八の願い(本願)を打ち立て(選擇)、それを完成させて「阿弥陀仏」として浄土をうちたてられた” …という物語です。
この物語、私に何の関係があるんだ、と思われる方もあるかもしれません。しかしこれこそが「南無阿弥陀仏」の由来のお話なのです。南無阿弥陀仏ってなに?という方はこの背景をぜひ知っておいてほしいのです。
無諍念王の菩薩の名前は、上にも書いたとおり「法蔵」です。ですから「法蔵菩薩」と呼びます。正信偈の最冒頭に出てきますね。菩薩は仏になろうと精進する存在ですが、まだ仏にはなっていません。そして、法蔵菩薩の願いが成就して、仏になった時の名前こそが「阿弥陀仏」なのです。
法蔵菩薩が仏になるために打ち立てた本願とは、四十八の数があります。中でも特に重要なのが十八番目、「私の名を呼んでほしい」という願です。第十八願ともいいます。実際にお経に18番目に書かれています。
その「呼んでほしい名」とは“無諍念王”でも“法蔵菩薩”でもありません。法蔵菩薩の願が成就した、仏としての名前、「南無阿弥陀仏」なのです。念仏とは、深く長い本願の歴史を一言であらわした、尊いお名前なのですね。
名が声に現れることを「号」と言います。だから“名号”です。念ずるだけだと、ついつい余計なことを考えるのが私たち人間です。だから、声に出すということが、とても大切にされるのです。
(翫湖堂・2022年7月号所収・web用に再編集)